「ユーラシアの歌」書評をいただきました(「週刊金曜日」)

ラッパー、詩人のFUNIさんが、「ユーラシアの歌」書評を週刊誌「週刊金曜日」書いてくださいました。嬉しかったので早速近所の小さな新刊書店で購入しました。

 

 過日の出版記念のトークで初めてお会いした時、ほろ酔いしながらいっしょに散歩したひとときのことも交え、朝鮮半島に家族のルーツを持つロシアのダンサーとのコラボレーションなど、私の音楽創作についても紹介してくださいました。

 

もう書店には並んでおりませんが、図書館のバックナンバーでぜひ!

 

 そのことや、この書店の少女の思い出を随想したので、こちらもぜひ。

 

「或る女についての記憶と創造」

 

 書評の掲載を知り、夜20時頃でしたが、この雨の中でも少し足を伸ばせば徒歩で行ける書店はあるだろうかと思案。コンビニにはなさそうだし、近くに一軒だけ新刊書店はあるが、そこにもなんとなくなさそう。街の新刊書店も、この20年くらいの間に、いつのまにか次々と姿を消しました。パソコンで調べると、レンタルDVDTSUTAYAが表示され、たしかに、と思いましたが、しばらく前に撤退したことをすぐに思い出しました。期待せずにアパートから2分ほどにあるそこに向かいました。閉店時間間際でしたが、台風が近づく中傘をさして向かうと、頼りなげな書店の灯りが、まだ夜道の暗がりを照らしていました。

 

 文学や本にうるさい父の話では、そもそもこの辺りの書店が置く本の質は良くないようで、なかでもこの書店に対する評価は低いものでした。小さな頃に聞いたそういう言葉や趣向の影響で育てられた私も、その店に入ることは、ほとんどありませんでした。たしかにエロ本系の男性雑誌や、実用書、下世話そうな新書、コミックがほとんどでした。本売り場は素通りし、入り口の狭い階段を上がると薄暗い文具売り場があり、そこでホッチキスの針や小学校に忘れたコンパスを買って、急場しのぎの用を足す程度。好きだった野球雑誌を買うのなら、その書店から1、2分にある両親と暮らしていたマンションの一階のテナントにあった、やはり小さな書店で買えば事足りました。数年前まで駅の反対側には大型書店もありましたし、コミックは古本屋で買いました。

 

 高校生か大学生の頃、その文具コーナーでVHSのダビングサービスをしていると知って利用したのが、その店中に入った最後でした。インターネット動画などなかった当時、コンサートを映像で見ることは貴重でした。都内のマニアックなショップで、高い値段(一本1000円程度だった記憶が)で1週間レンタルし、それをこの店でさらに一本2000円くらい?を払って複製してもらうのでした。違法まがいと言えるのでしょうが、当時はまだその辺りのことも、ゆるかったのでしょう。金もなく、たった二度ほどの利用でした。覚えているのは、どちらも熱狂的なコンサート。R&Bのオーティス・レディングはモンタレーフェスティバルの映像とフォーク、ロックの遠藤賢司のライブ。エンケンさんのドラムは、よく共演させていただいている、現在の私の年齢より少し若い石塚俊明さんでした。

 

 以来30年以上この書店を利用したことはありません。それでも店の前を通り過ぎるとき、中学生時分に、小学校時代の友人に誘われて、スポーツ誌の内側にエロ系雑誌を挟んで、こっそり立ち読みをしたことを思い出したります。それとともに、さらに古い10歳前後の頃の記憶が蘇ります。

 

 書店の男の子と女の子とは、それぞれ、私と一つ二つ年が違い、同じ町内の子供会でしたが、行事で見かけることもなく交遊はありません。手伝いでもしているのか、店外からから彼らの姿を見ることもありました。

 

 あるとき誰かから、その兄妹には母親がいないと聞きました。その話は事実のようで、店主の父親とその姉か妹の手で育てられているとのこと。いっぽう真偽は謎でしたが、母親はだいぶ前に行方不明になってしまったとのことでした。いかにも噂話らしく、樹海で発見されたとも、発見されぬままだともいいます。深い事情を小学生の私が想像する事も難しく、ただなんとなく薄倖の儚い女が仄暗い森を彷徨う像の美しさと、兄妹に対する幼い憐憫の情が拭えず、興味半分にわざわざ店内を覗きに行ったことを覚えております。

 

 そのとき見た、妹である少女の足を思い出しました。おてんば風な乱れ髪で、子供でも大人でもないような面立ちは妙な野性味を帯びていましたが、彼女の短パンの下の細い足は白く、素足にサンダルを履いていました。なにかアンバランスな印象をいだいたのを覚えています。当時の子供は、寒い頃には珍しいことではありませんが、足は乾燥して白い粉を吹いていました。

 

その後ふと、彼女の足、そのふくらはぎあたりが、繰り返し頭の中に蘇っているのに気づきました。そのうちしばら経つと、身体のどこか場所を特定ないような疼きも自覚しました。幼き「セクスアリス」の一つといって間違い無いでしょう。ただそれはほんとうに時折で、持続して懊悩するようなことはありませんでした。私は都内の中学に入学したので、近隣の同世代との付き合いもじょじょになくなり、その足も、彼女のことも気にかけることはなく、すでに学生の頃には、娘の容姿を、はっきりと思い出すこともできなかったでしょう。地元の中学校の制服かジャージを着て歩く、彼女を近所で見かけたような気もしますが。もうとっくに行方不明となった母親の年齢を超えた彼女は、いま、どうしているのだろう。

 

 同じ学区内のはずですが、なぜか隣の学校の白帽をかぶり銀縁メガネをかけていた少年は、大人になってからも時々見かけます。レジに立ったり、表の雑誌棚を出し入れしたりしている姿をみました。いつの間にか見なくなった父親のあとを継いだようで、現在にも少年時代の面影は残りますが、すでに初老に近い風情ともいえます。

           

 傘をさしたまま、表にある漫画雑誌や実話系雑誌の並ぶラックを覗くと、意外にも「週刊金曜日」を見つけ、壊れかけの雨傘をたたんで、さっそく手にとりました。ふだん新刊書籍を書店で買うことも少なくなり、「週刊朝日」の休刊のネット記事でみたばかりでしたが、最近の雑誌事情にも疎いです。思ったより薄手で、紙質も想像とは違い、フリーペーパーのような趣がありました。今週号であることと目次だけを確認すると、さまざまな記事の執筆者のなかには、まだご健在なのかと思うほどに懐かしい名前もみました。熱のこもったレポート記事の内容が想像できます。社会に対する批判や告発に対して、「批判のための批判」などといい、社会ではなく、それを行う人間ばかりをあげつらって嘲笑う「批難」ばかりが横行する浅簿な言論とは異なる硬派を感じます。

 

 レジに立っていたのは、店を継いだ兄ではなく、やはり私と同じくらいの歳とおもわれる、太い黒縁メガネの女性でした。彼の妻であろうかとも思われますが、なんとなく所帯持ちの風が彼からは感じられません。ですからもちろん、あの白い足の妹かもしれない、とも思えてきます。少し小太りで、髭面赤らみた顔だった若い頃の父親に似ているような気もするが、どちらかといえばふくよかな顔にその面影がない。

 

 というより、思えば私は、そもそもその女の子の顔をよく見たことがなかったです。いま微かに思い出せる少女の顔は、あの白く粉を吹いた足の印象から補われた創造なのでしょうか。ともあれ、小銭で代金を支払うと、茶色く薄い紙袋に雑誌を入れてくれました。レジで、雑誌や本を紙袋に入れてもらったのは、何年ぶりのことだろう。さまざまな懐かしさが連鎖し、この街にたくさんあった小さな書店の記憶が広がってゆきます。

 

 傘をさしても雨が差し込む夜道を、薄い紙袋の中の、水に強くなさそうな紙質の「週刊金曜日」を濡らさないように片手で胸に抱え、アパートのほうに戻り、隣のスポーツクラブへと向かいました。その一画にも、かつては小さな書店がありました。父は当時、まぁこの辺りでは一番「まし」なほうだ、などと言っていました。市の文化イベントのチケットを取り扱ったり、レジで展覧会の割引チケットをくれたりしました。市内に住むサックス、クラリネット奏者の坂田明さんの市民会館でのコンサートのチケットを買ったのが、そこに行った最後の記憶になります。小さな書店のなかで、唯一、岩波文庫(在庫の古びたものも多かった)が置いてあったその店は、私の記憶では、一番初めに姿を消し、その跡にこの大きな建物ができたのは私が20代のはじめだったと思います。

 

 サウナの中では、朧な記憶の復元を試みながら少女の顔を、かつて恋心を抱いたり、お付き合いしたりした女性の顔に重ね合わせるような不届きな連想をしたり、まだ読んでいない書評を、これもイリーガルであろうがコピーして、出版をとても喜んでくれた父に、明日渡しに行こうか、などと思ったり。

 

 火照った身体のまま帰宅し、缶酎ハイを開けてFUNIさんによる拙著の書評を読む。

 

「出会いがあるから心が震える。心が動き喪失を想起する。失った過去や、まだ見ぬ未来を、今ここにはない歌を芸術を想像/創造していく。

 それは、歴史からこぼれ落ちたなもなき人々の生きた証を復活させるようなもの」(書評より)

 

 数十年前の小さな書店の一風景、数十年前の少女の足、そして忘れていた人々の顔が少しずつ鮮明に甦ってきます。それらの一つ一つも、やはり私の創造の原郷といえるのでしょうか。

 

 インターネットと違い雑誌ですか、次の号になり、もう書店にこの号が並ぶことはありません。紙に残された言葉を慈しみました。ありがとうFUNIさん。

 

FUNIさんとは数ヶ月前に出版記念のトーク&ライブイベントに登壇していただいた折に、初めてお会いしました。会場のブックカフェ、ココシバは線路を挟んで駅の反対側の東口にあり、イベント前、そこを起点に缶酎ハイ片手に街を散策。トルコから迫害を逃れてこの街にきたクルドの友人たちが住むエリアから、私の暮らす西口に一旦戻り、私の「アジール」ともいえる、中国やネパールから人々が多く暮らす団地の広場を案内し、跨線橋を通ってまた東口に戻りました。

 

初対面の人物とそんな散歩をしたのは、もちろん、ラッパーであるFUNI氏に、私の創作の泉とも言える海外出身者の多いこの街のストリートを感じてもらったうえでトークに臨みたかったし、氏自身のルーツが日本のコリアンタウンにあり、氏の表現の原郷となっていることも、理由の一つでした。ほろ酔いながら散歩をし、たくさんのことをイベント前にすでに語り合っていました。しかし、トークのあとのミニライブではこの散歩とストリートにまつわるであろう即興ラップと、私のコントラバスとの共演も予定されていました。そこに、青森での仕事帰りに立ち寄ってくれる、台湾原住民にルーツをもつ歌手のエリ・リャオさんもギリギリ間に合ってセッションに加わってくれました。私関連のイベントとしては異例の盛り上がりで、嬉しかったです。

 

「どの表現もその人の生い立ちと無関係ではいられない」(書評より)

 

雨に打たれ少し湿気を含んだ紙面の上に紡ぎ出された、ラッパー、詩人のえもいわれぬ優しさが溢れ出ます。この暖かな眼差しの根にあるであろう、辛味を帯びたパッションもまた、彼の生い立ちや、川崎の桜本という街の成立と関わるものでしょう。文字や書物で知るばかりで、私はまだ、そのストリートを訪れたことがありません。

 

たった1週間、私の本のことが書かれた言葉が、育った街に存在したことに胸が詰まる思いです。そしてその雑誌を、この書店で買えたということが、なぜだか嬉しいのです。

 

その書店に行く用事ももうないでしょう。それにしても、あのレジのおばさんが、かの白い足の少女だったのだろうか。「聞きゃいいじゃん」という声もしますが、そんなささやかな想像が私の創造の源ですから、しかたありません,,,

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