Op.1 Continental Isolation(2018)
2015年初演の「終わりは いつも終わらないうちに終わっていく」(タデウシュ・カントール生誕100年祭)をモチーフに、アルメニア、ロシア、ブリヤート共和国、ウクライナ、トルコで、ワークショップやコラボレーションによって改作しながら上演。2018年、トゥバ共和国出身の歌手、美術家のサインホ・ナムチラクをはじめ、ウクライナ、ロシア、、トルコから4人の歌手を招聘し、作品名も新たにして東京で集大成した。
【上演データ&写真©︎mikomex】
ゲストソリスト:4人の「まれびと」たち
アーニャ・チャイコフスカヤ Anya Tchaikovskaya(ウクライナ)
紀元前にもさかのぼるウクライナ古謡の研究とロシア・アヴァンギャルド音楽の重鎮とのトリオを中心に活動する歌手
サーデット・テュルキョズ Saadet Türköz (トルコ)
中央アジアの語り物の伝統とフリージャズの融合 テュルク族の移民の歴史を体現する強靭な声で、世界の即興音楽シーンを横断する
マリーヤ・コールニヴァ Marya Korneva (ロシア)
シベリアの広大な自然と、ロシアの知を継承するイルクーツクに育ち 様々な音楽、演劇、映像プロジェクトとコラボレートする歌手
サインホ・ナムチラク Sainkho Namtchylak(トゥバ共和国)
喉歌などの伝統歌唱とエレクトロニクスを駆使し、シャーマニズムや 仏教的な儀式に裏打ちされたパフォーマンスを世界に発信する 千の声を持つ遊牧地域出身の現代のシャーマン
本作は中国人女性作家(遅子建)が、中露国境地域に暮らす少数民族の離散を描いた半ドキュメンタリー小説「アルグン川の右岸」に描かれた史実に着想を得ている。一族の伝統的な生活形態は、国家という巨大な仕組みにのみ込まれていく。
架空の民族のストーリーに置き換え、現代に生きる架空の共同体が奏でる民謡として表象することで、音楽劇として上演した。
架空の民族のある一族の長は、新たな習慣をとりいれなければ、一族が滅びると判断した。民族は国家の一部をなす「共和国」に編入され、定住生活へと移行する。
その前後を時空間を超えて描くのが本作だ。
前の場面においては、どこから現れたのか分からない、不思議な「まれびと」が集落に現れては、歌い去りゆく。いつのまに彼らの歌にも痕跡を残している。
後の場面においては、定住生活に移行後、国家の庇護のもと、楽団長となった族長に率いられ、歌舞を巡演する旅芸人となった一族のショーとその顛末が演じられる。
かつて暮らしとともにあった歌を「楽譜」に再編した歌には、外来の「まれびと」たちが残した歌唱の痕跡も残る。それらはどの民族音楽にも似ていない「架空の民謡」だ。その歌姫は異民族の血を引く、捨て子の少女だった。赤子の頃から一族が大事に育ててきた、しかし歌謡ショーの途中、突如、歌うことを放棄して失踪する。「国立民族歌舞団」も解散し、彼らは結局離散した。
一方でかつての暮らしを守り、定住生活に加わらなかった孤独な老婆は、一族の最後のシャーマンだ。だが儀式や降霊を求められるような暮らしはすでなかった。シャーマンは孤独に最期の舞い、力つきて眠り、死を迎える。老婆の夢の中には、「まれびと」たちの歌声が木霊している。
一族から独立し芸術家となった女が、都市生活に疲弊して故郷の部落を訪ねる。そこで老婆が死にゆく姿を目の当たりにする。若い女は本来シャーマンの素質を持つ後継だった。女の身体の中にも、老婆に響く音楽が同じように響く。女は古代のシャーマンの岩絵のある沼のなかに、絵の具を溶かしながら入水し、「一族の神話」のなかへと溶けた。それは、ひっそりと死を遂げた芸術家の、最期の作品である。